80年代の名古屋に「アートシーン」はあったのか

大野 左紀子(文筆家)

いくつもの現代美術のコマーシャルギャラリーが国内外の有名作家を取り扱い、コレクター人口も多く、80年代後半から90年代前半にかけて非常に盛り上がっていた‥‥そういうイメージで語られることの多い名古屋。確かに「現代美術は名古屋」と言われた時代があった。
もちろんそれは名古屋の画廊業界の「商業シーン」であり、作家たちの中から生まれてきたオルタナティヴな美術潮流という意味での「アートシーン」ではない。では、そうしたアートシーンは、80年代の名古屋にあったのだろうか。

ここでは最初に、80年代冒頭までの名古屋の概況を見た後、82年から88年頃までの状況を語ってみたい。アーティストになりたてだった一個人から見た名古屋の風景であり、出来事の漏れもあるだろうことはお断りしておく(以下、個人名の「氏」は省く)。

1. 80年代冒頭までの状況

この地に公立の芸大である愛知県立芸術大学(略して県芸)が開校したのが66年、次いで翌年、名古屋造形芸術短期大学(略して名造形、今は四年制)、その翌年に名古屋芸術大学(略して名芸)が開校した。
画廊は、桜画廊(今はない)が74年に唯一の貸し画廊から現代絵画、彫刻を扱う企画画廊となった後に、若い作家の実験の場としての性格をもったスペースや画廊が幾つかオープンする。

まず、反万博、反日展など「美共闘」の活動をしていた鈴木敏春らが、74年に「8号室」というフリースペースを立ち上げ、同世代のアーティストや後に評論家となる三頭谷鷹司らが集まる。
76年には彫刻家の国島征二の尽力でギャラリーUがオープンし、83年まで評論家中村英樹企画で若手中心の展覧会を行った(名造形で教えていた中村氏は78年に東京芸大油画科榎倉教室で特別講義をしており、その時の川俣正や保科豊己らとの出会いが、後にA.S.G.という私も関わることになるギャラリーの企画へと繋がっていく)。
U通信というフリーペーパーには、宇佐美知恵丸、三浦幸夫、林まさみつなど、50年代前半生まれの作家たちが寄稿している。Uの作家たちは「8号室」とも交流があったようだ。
77年には名造形の第一期卒業生である小塚夫妻が、企画とレンタル二本立てのギャラリー・ウエストベス(現・ウエストベスギャラリー・コヅカ)を立ち上げる。

こうして70年代末には、上記の二つの他に、ギャラリー・ユマニテ、ボックス・ギャラリー、伽藍堂ギャラリー、ギャラリーはくぜん、ギャラリーたかぎ、アキライケダギャラリーなど、コマーシャルギャラリーも含めて10軒ほどのギャラリーが、名古屋の中心部に存在していた。

2. 先行世代への違和感

大学受験を機に上京し、予備校と藝大時代の合わせて5年間を東京で過ごして私が名古屋に戻ったのは23歳、1982年の春。
当時の名古屋の現代美術の傾向を大雑把に言えば、抽象絵画と彫刻、コンセプチュアルアート、ミニマルアート、もの派の流れを組む立体が混在しているという雰囲気だった。
1921年代生まれの彫刻家、久野真が名古屋の現代美術界の大御所であり、その下の世代ではコンセプチュアルアートの水上旬、布の空間彫刻の庄司達、石彫家の石黒鏘二、現代陶芸の鯉江良治、そして更に下の国島征二や久野利博など、30年代から40年代生まれの中堅作家の存在感が強かった。

同世代の人々の動向はよくわからず、出身高校の美術科から地元の芸大に進学した同級生からも、仕事で行っていた河合塾美術研究所で出会った愛知芸大出身の講師たちからも、「名古屋の現代美術シーン」のような話は聞けなかった。
東京で毎週のように誰彼の展示の話題を耳にし、目の前で新しい美術(美術未満だったのかもしれないが)がうねりをもって動いているという実感を覚えていた私にとって、久しぶりに帰ってきた名古屋はどこかつかみどころのない場所だった。

一年後の83年、A.S.G.というギャラリーで初めての個展を開催したのをきっかけに、徐々に人間関係や場所との関係ができていくのだが、その前の状況について少し記しておきたい。
82年、「8号室」に集っていたメンバー、鈴木敏春、よねずたつひこ、三浦幸夫、鈴木一之によって、美術批評紙「オン・ザ・ビーチ」創刊号が発行される。美術館を初めとする制度への批判姿勢を内包した内容が多く、いくつかのギャラリーに置かれているそれを、U通信と共にいつも読んでいた。

同年の目立った自主企画展としては、11月27日から12月29日まで、栄セントラルパークイベントコートと名古屋市博物館(レンタルスペース)で開催された「WOMEN’S ART NOW 14人から∞へ」が挙げられる。参加者は遠藤喜子、ノブコウエダ、*平林まさこ、*大嶽恵子、山本裕子、*高木豊子、*川上明子、*武谷直子、沼尻昭子、アキサトミチコ、*河内馨子、こじまのブコ、*栗本百合子、*上松真美子(*印は愛知県在住の作家)。
東京では60年前後の生まれの若い女性作家たちが「超少女」などと名付けられていた頃だが、こちらはそれより10歳前後上の作家たちだ。「オン・ザ・ビーチ」2号に掲載されたインタビューで大嶽恵子が、「美術の中で切り捨てられていた大事なものと、女性達との状況とが似ていて、そういうものがうまくいっしょに出て来たらいいなという感じ」と語っている。
展示はもの派やコンセプチュアルアートの流れを汲みつつ、若干ふわっとした表現が多い印象を受けた。この中で私がその後も継続して見ていったのは、結局”女性性”に依拠しない作品を作り続けた栗本百合子だけである。

「オン・ザ・ビーチ」にしてもこの展覧会にしても、一世代上の作家たちの既存の場への疑義に共感するところはあったが、言葉遣いや作品は「コレじゃない」と思った。そこにある「制度への抵抗」の仕方は、私からはあまりに素朴に見えた。



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