第5回 『melt downの危機』…もの言わぬ集団

土屋 穣(美術家)

前期と後期の間には、後期参加作家の為に一週間の制作期間を設けた。

■後期/11月3日~11月20日

入口から会場へと向かう坂には、中心に幾つもの小穴が開けられた大きな数枚のパネルが等間隔に立てられていて、小穴からは裁断された風景が覗いていた。この作品空間で丸山常生は、大谷周辺で収録した様々な音をテープレコーダーから流し、砂をかけながら音を消し去るパフォーマンスも試みた。状況に対して常に自立的に可変する我々の知覚・感覚に対して、丸山は波紋を投げかけ、恣意的な揺らぎと流動を呼び起こす。
舞台のように高くなった場所には、平戸貢児の真鍮の柱と深紅の布を張ったベッドがある。真鍮の黄金とベッドの深紅が暗闇と共鳴し、美しく端正な作品に静寂な奥行きを生んでいた。会場の中央に進むと、有吉徹の大きなスクリーンが出現する。手前の三体のボックスからは、スクリーンに向けて日常に氾濫するコマーシャル画像が断続的に投影されている。日常を彩るそれらの猥雑な情報もこの空間にあっては、妙に神々しく映るから不思議である。
古代遺跡のように林立する巨大な石柱の一つには、青木敦のドローイングが巻かれている。柱に刻まれた象形文字のようなノミ跡とドローイングのゼブラ模様が呼応し、古代エジプトの建築空間を彷彿させる。大谷石が階段状に切り取られた祭壇状の場所には、エサシトモコの天を仰ぐような白いペンギンが居座っている。階段上部の一体を中心にその下にも五体のペンギンが整然と並び、幽玄な聖域を作っていた。
さらにその先には、中屋廣隆の作品がうっすらと伺える。卵形に加工した大理石の内部に光源を仕込んだもので、三つ又で吊り四方に置かれていた。乳白色の発光体の蔭は、水を満たした中心の器で太古の大らかな祈りを醸成していた。その隣には、阿部隆の作品がある。壷形のオブジェと有機的なレリーフが付いた絵画とが対になった作品で、白を基調としたモノトーンと鮮やかな紫やオレンジ色が施された二点が並べて置かれていた。艶やかしくも鮮烈な色彩が空間を染める。
最奥部には、松枝秀晴のインスタレーションがある。家屋三軒分の木材を束ねて作った巨大な三本の柱を宙吊りした力技である。垂直・水平・斜めといった単純な構成だが、かえって、その単純さが作品全体の迫力と緊迫感を高めていた。

以上が、5回展の概観である。この年、大谷で大勢の作家達が自らの状況に対する危機意識を募らせ、各々、多彩な作品を結晶させた。圧倒する場への精力的な挑戦は、作品と場を活気づかせ、空間全体で核融合したエネルギーは、大谷の石壁すら圧搾した。こうして企画の狙いは十分な成果を収めた。

あれから十年近くが過ぎた。現在の私や当時の参加作家の裡には、いまも大谷から流れる太い血脈が、荘厳な空間に全身で挑んだ当時の感触として息づいている。そして、自身の内奥で静かに大谷が語る。創造とは常に終わりから始まる新たな一歩であり、郷愁に満ちた憧憬としての故郷にはなく、いまという一瞬の精神の輝きの内にのみあるということを。

『大谷地下美術展1984~1989』p.20-22

関連展覧会:
  • r11 第5回 大谷地下美術展 「melt downの危機—もの言わぬ集団」Part 1
  • r12 第5回 大谷地下美術展 「melt downの危機—もの言わぬ集団」Part 2


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