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『アーティスト・イニシアティブ・リンクス 99 "パドゥルズ"』カタログ 所収「アーティスト・イニシアティヴ・リンクス『パドゥルズ』」は、オランダと日本に住むアーティストおよびアーティスト・イニシアティヴ活動を結ぶものである。
ところで、事物の意味──そのことばの指し示すものを確かめようとするとき、私の場合、大抵、辞書(今回は、米国で最もよく売れているMerriam-Webster社のウェブスター英語辞典、第10版)を役立てている。今回の話を始めるに当たって、この辞書がよい足場を提供してくれるに違いない。
『puddles』ということばには、次のような様々な解釈が与えられている。
1. 通常、汚いまたは濁った小さい水たまり。
2. a. 湿っている間は変形できるが、乾くと水を通さなくなる小さい塊状の(粘土と砂と砂利でできた)こね土。b. 苗を浸すための土と水でできた水気の多い混合物。
「関係を作る」ことは、明らかに、一定の約束事やフィジカルな投資を伴うことを意味している。さらには、水たまりの中でよく考え、懸命に働き、固く誓いを立てることさえ必要とすることもあるだろう。この初期の驚きに満ちた形のない泥だらけの塊から何かを生み出すためには、それを構築し形にしなければならない。そして何よりも、この困難な作業に取りかかるためには、不安に満ちた池の中の宝物や可能性を見つけたいという欲望を持たなくてはならないだろう。
アーティスト・イニシアティヴ・リンクを作ること……。今ここで、アーティストとは何か、アーティストはどうあるべきか、一歩進んで、アートとは何か、アートはどうあるべきか、何を創り出せばよいのかということについて語ることは差し控えようと思う。しかし、次のように、「リンク」ということばは、明らかな意味の領域を持っている。
1. a. 結合体 b. 接合 c. 力や運動を伝達するための連接棒またはその部品 d.ヒューズの可溶部材
2. 鎖状につながったソーセージの一節などの鎖状の輪に類似したもの、結びつける要素または要因、通信システム中の一単位、系の中の同類要素を示すか許可するための識別名
「連結する」ことは、接合を強化、伝達、創出するための、似てはいても必ずしも正確には一致しない複数の要素と関係があるようだ。また、辞書によれば、リンクは交換とは別物であり、交換とは、他のものと引き換えに、あるものをやり取りする行為であり、あるものを他のものと置換する行為またはプロセスであり、相互の授受である。このように、交換には、違いを最小限に抑えるために、等価物を代用品として転化するという意味がある。リンクは、代用品や等価物ではなく、類似点に基づいた相互関係を想定し、関係を強化し生成している。したがって、違いはあってよいものであり、むしろ望ましいといえる。このような違いを歓迎する中から力が生まれてくるものと思いたい。
デュエンデは、このようなリンクの場を創造し、つながりを支持していく促進的な存在であろうと努めている。また、美術家やデザイナー、建築家、映画製作者等のために約40のスタジオを提供している。同時に、このアーティスト運営組織では、展覧会やレクチャーなどのプロジェクトならびに活動を開始しており、若手のキュレーターを招いてプレゼンテーションやプロジェクトを企画し、国際的なアーティスト・イン・レジデンスを運営するような活動も行っている。ここでの対話が、アーティストの個々の作品や制作態度の周辺ならびに外部にまで発展していく刺激剤として、あるいは創作の場や出会いの場として機能していくことが理想的である。デュエンデは、アート・フィールドの内外で(同時代の)論議や実践の一端を担うことを目指し、アーティストの先導役であることに重点を置き、活動を生み出し、そのような活動が発展していく可能性を見出すとともに、さらにそれを支持し、奨励し、着手していこうと努力している。
デュエンデは、スタジオや食事を含めた生活の場などの『パドゥルズ』に必要な何らかの要素を提供した初期の場の一つである。スタジオを広くネットワーク化していく状況については、以上、述べた通りである。
このような環境の中から、アイデアをやり取りする可能性が生まれることが望ましい。アイデアは、例えば、様々なアーティストの個人的な活動、実践、背景等によって育まれるものである。
また、デュエンデよりも広い状況の中で、さらに公共的な場においての機会を日本のアーティストに提供する目的から、ロッテルダムの中心にあり、デュエンデと関連のあるセンター・オブ・ビジュアル・アーツ(CBK)の展示スペース、テントを提供することもできる。2000年に行われるこのプロジェクトへの参加をロッテルダムのアーティストに呼びかけることは、絶えず門戸を開いていくという理念にも一致する。デュエンデは、明らかに、内部のメンバーだけを対象に活動することを望んでいるわけではないからだ。
ロッテルダムなどの都市では、多数のアーティストが、デュエンデと似たような状況の中で活動している。つまり、実際には公式ではないものの、地方当局によって黙認されている建物を運営し、多かれ少なかれ評価を得ることもある。アーティストのための制作場所や展示場所についてうまく機能するシステムがないために、このようなアーティストは、不満足な状況に耐え、こうした「過渡的な領域」を自分達に有利な方向へと利用し、アーティストが、自分達の組織を自分達で決定していく形を発展させてきた。
アーティストはそれぞれ、港内や都市などのユニークな場所にあることの多いビルや残されたスペースに場所を移し、プロジェクト、ギャラリー、スタジオでの活動を展開している。この活動に付随したプロジェクトとして、展示や制作の既存のシステムに疑問を投げかけるようなことも行っている。このような組織の強みは、エネルギーを生み出す点にあり、そのエネルギーは、短期的にも長期的にも参加意識や協同性への刺激剤となることが多い。また、そのようなアーティストは、安いスタジオを提供したり、今述べたようなネットワーク構造体や非公式の支持システムを生み出すことによって、アーティストとしての重要な役割を果たすことにもなるのである。
都市を離れてしばらく経った今、私達がこれまでに費やしてきた時間とエネルギーについて、また、私がこれまでに力を注いできたアーティスト運営組織とのかかわり合いの背後にどのような動機があるのかということについて、つまり、このような組織で活動する際にあらわになる原動力について、振り返ってみる必要に迫られている。
アーティスト・イニシアティヴについての私の考え方は、都市や社会に対する私の理想とも一致しているが、狭い尺度でいえば、活況や変化を生み出すための条件として、また、思慮に欠ける対話や考えに対する刺激剤としての役割を果たすものである。ここで特に重要な大切にしなければならない点は、私が心理的に外部を志向していることであり、そのことによって、イニシアティヴを取って交流しようとする自由な意志の範囲が、絶えず定義検討されると同時に、問われることにもなる。すべて、試行錯誤の状況のうえに成り立っているのである。このような状態を維持しながら、冒険的な何よりもおもしろいことをするときは、暗闇の中を手探りして進むような落ち着かない感覚を伴うことがある。
このような魅力的なこととは、泥だらけの物体を、湿った柔らかく形のない濁った状態に保ったまま、そこに水を注ぎ続けるという芸術なのである。
2000年4月
(デュエンデ創設メンバー、1984年から99年まで代表)