『Puddles』──大気の魔術

伊藤 洋介(アーティスト/パドゥルズ・ディレクター)

1999年を振り返り、日本の芸術状況に関し、メディアを賑わすキーワードとして思い起こされるのは、「美術館の相次ぐ閉鎖」「公立美術・博物館、民営化の方向」だろうか。あたかも芸術そのものが衰退してしまうかのような悲観的論調が記憶に残る。しかし、そこで論じられていたのは、「美術」や「美術館」や「作品」であって、「芸術家」についてではなかったようだ。この種の議論から、アーティストとは、という問いが欠落するかぎり、作り手と受け手の関係は問われない。これを問わない日本の状況下では、美術館があろうがなかろうが、社会における芸術の位置付けは、あまり変わらないのではないだろうか……。

アーティストは、社会に作品を提供する寡黙な存在……むろん、これはこれで重要なことだ。ただ、社会における芸術家のイメージを、芸術家自身が享受するのみで、それが上の事態を招来しているのであれば、少なくともアーティスト自身が態度を変更し、自らの場、取り巻く環境を捉えなおす眼差しを持つことが必要だろう。60年代末のアメリカや、80年代末のヨーロッパ……アーティスト自身による、アーティストの意味の問い直しは、社会的な変革期と並行して、インディペンデント組織の形成、あるいは、スタジオ兼発表スペースの獲得という具体的な行動として現れる。あたかも美術館が初めて生み出された時代のように……美術館の生成をアーティスト自身がトレースするように。アーティスト・イニシアティヴ、アーティスト・ランなどと呼ばれるこれらの動きは、作り手と受け手の関係を問い直す。日本の状況で、ネガティブに捉えられがちな貸画廊、レンタルスペースも、その生成期には同様の意味を持っただろう。

今回、日本を基点に、オランダ、アメリカを合わせ、4組織のアーティスト・イニシアティヴをリンクさせ、交換展を企てた。これは、都市の狭間に不可避的にできる水溜り/Puddleのように、作り手と受け手の間、のみならず既成の芸術ジャンルの狭間に組織される。雨が水溜りを生み、伏流し、大海に流れ、新たなエネルギーとして循環する……アーティスト主体組織のリンクが、来たるべき芸術の流れをつくる。初めは数少ない「点」であるが、これを無数につないでゆき、「面」を形成してゆこうというのが、われわれの採った選択だった。また自ら掘削し、地下の水脈から湧水を獲得するように、既存のレンタルスペース、その本来の意味を問い直すことも、そこに掲げられた課題だったろう。様々な水溜りの形態があるように、画一化されたグローバリズムとは反対に、個々の組織の独自性に注目し、自主性を保ちつつ、活動の回路を複線化してゆくこと……複数形 Puddle-sには、そのような意味が込められている。

日本でこのような試みが、これまでなかったわけではない。また外面的には、展覧会そのものは、海外の作家がレンタルスペースで発表しているに過ぎないとさえ映るだろう。しかし、そこで目指されているものは、すでに挙げたように、アーティストのあり方の提案、あるいはその問い直しであり、さらに、既存の場を、社会に流通するそのイメージとは別の場に変質させることだ……魔術師のように。芸術の場の生成と持続、われわれに課されているのは、この相容れない二項の両立であり、その解法として、小さな組織のさまざまな連結を企画した。繰り返すが、水溜りと大気の循環はその比喩である。これは、組織間の交流を、オープンに賛同者を募ることで広げてゆくと同時に、新たな組織による新たな企画の生成を促す契機ともなるだろう。また、新たな芸術のテーマが、異文化交流によって生み出されてきた事実を、われわれは数多く知っている……『Puddles』は、その契機としても機能するだろう。
……『Puddles』は、ワールドワイドに展開される。大気の循環に国境などないのだから。

(W・キューブ・プロジェクト、55マーサー・メンバー)

『アーティスト・イニシアティブ・リンクス 99 "パドゥルズ"』p.6

関連展覧会:
  • t10 アーティスト・イニシアティヴ・リンクス 1999 “パドゥルズ”


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