作品によせて[8]

松枝 秀晴(参加アーティスト)

あからさまと思える表面が絶えずつきまとう物質(社会)には、あたかも即自的に具象化しているような錯覚がある。自然、天然の空間を負としてとらえるならば、存在は緊張した正になるだろう。ところが造られた存在は具体質的錯覚になる。今、僕は同時(両義)的表面にとらわれている。見ること見られること見ている自分を見つめる、見られている自分をもう一度見つめる。両立する、対立する、その間にある……境界、結節、接吻。生(正)の原型、死(負)の原型、排泄され、圧倒する力、形、制度、廃材、1966年の岡崎和郎の “御物補遺”、濾過、通過、同時(両義)的表面。作ること作られること、作っている自分を見つめる。見られている自分を作る。写す事実あるいは土(正)調性され通底していく装置。

『ASAKUSAÉ(浅草へ)/Orientation 50°Nord』p.49

関連展覧会:
  • t01 日本・ベルギー現代美術交流展 「ASAKUSAÉ 浅草へ」(日本展)
  • t02 日本・ベルギー現代美術交流展 「Orientation 50° Nord」(ベルギー展)


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