作品によせて[1]

有吉 徹+直子(参加アーティスト)

現代美術ということばが諸誌面をにぎわす。蓄財の対象として、私空間を文化的に彩る道具として。すべてが商業主義の下で進められる。表層視覚的な意匠性のみが流通し、個々の作品を価値づける流通言語がダメを押す。文化という美名の下で加えられる感性への逆説的な抑圧。ここにこれら情報環境に麻痺した美術家の感性が荷担するとき、美術は人々の志向性の固定化をはかる巧妙な戦略装置と化す。残念なことに、この側面を抜きにして我が国の現代美術の状況は語れない。美術に保証されているのは、現システムを維持するという約束の下での自由にすぎない。美術の自律性というかつての定義こそ現在問われるべき唯一の美術の主題である。(有吉 徹)

美術の「外」に、一般・日常という風景を見る人にとって、美術は単に制度である。そのとき美術は輪郭を持たない器のようなもので、余地は無際限にあり得る。また、美術の「外」があり得ないことを知るまなざしにとって、美術は、生きる場としてあり得るという可能性を持つものになる。いま、美術とは名である。また同時に制度である。制度とは、空間あるいは「間」という概念の流通である。名と制度は明確に区別されなければならない。なぜならこれらは一つであり、別々には無いからである。美術が在るとき、名と制度は同時に起こっている。このとき、現代美術が好む問題は、ほとんど残らず消え失せている。(有吉 直子)

『ASAKUSAÉ(浅草へ)/Orientation 50°Nord』p.42

関連展覧会:
  • t01 日本・ベルギー現代美術交流展 「ASAKUSAÉ 浅草へ」(日本展)
  • t02 日本・ベルギー現代美術交流展 「Orientation 50° Nord」(ベルギー展)


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