作品によせて[16]

マリ=アンジュ・ブレイエ(アートディレクター)

ミッシェル・ムーフ の絵画は、一見「モノクローム」のように見える。しかし、その下には、黄、赤、青とその混合色と、実に様々な色が隠されている。平らに絵具を塗り、一色重ねるごとに紙やすりで磨き、表面は次第に厚くなっていく。しかし、彼の絵画は金属の横木を取り付ける段階で既に始まっているのだ。金属の棒によって、キャンバスには凹凸が生じる。湿気を与えられた金属は、長い間にキャンバスを腐食し、崩壊へのプロセスを辿ることになる。こうして作品は、流れ続ける時間の相に組み込まれる。金属は支えであると同時にモチーフでもあり、不均斉な十字によって空間にひびわれを生じさせ、絵画の表面に疑問を投げ掛ける。

画面を横切るこれらの線は、位相空間の子午線としてキャンバスの枠まで絵画の中に取り込むことに成功する。金属の線は空間を形づくる一要素となり、通常なら絵画を取り囲み限定してしまう枠から、その機能を奪う。画面の端に白く残された部分から絵具を重ねた過程がわかる。観る者の視線は自然に画面の中心から周縁に向かい、その周縁は周囲の空間とつながる。“TOPIQUES” と “PAYSAGES” もイメージにおける場所の放棄である。彼の作品はあらゆる定義を逃れたパラドックスだ。平面でありながら、ボリュームを有し、何色も色彩を重ねながらモノクロームである。ミッシェル・ムーフの作品は色彩という存在についての聖画なのだ。

『ASAKUSAÉ(浅草へ)/Orientation 50°Nord』p.58


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