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“rebicycling”

Manuel Rocha Iturbide


会期:2000年11月21日---12月2日

作家名:Manuel Rocha Iturbide
     マヌエル・ロッチャ・イトルビーデ 

形態・素材:サウンド・インスタレーション
自転車、スピーカー、CDプレーヤー

展覧会DM

(photo:S)

作品についての記述:
私の作品の重要な要素のひとつは、私の作品が常にわれわれの周りの日常的な音に関係しており、また同様にこれらの音はコンテクストとの関係性をもつ、ということである。 
最近の作品「オフサイド」(メキシコシティ、1999)では、11の映像を映し出すスライドプロジェクターを使用した。映像には私が1998年にインドとタイで拾ったものが映されており、同時に、その2つの国で録音された音の風景が音響装置から流れている。映像と音との間の非直線的な対照が確立されている。

いくつかの私の楽曲や音響作品は、電子音響的手段を通して「音楽化」された多様な音の動きを意図している。このようにして、自動車の車輪が摩擦する金属的な音は音響作品の中心的な要素となることができ、永遠に奏でられることが可能となる(ロッチャ、オロスコ、1994)。または、ひと筋の細い水の流れの音は時間的に拡張され、電子音楽の楽曲になることができる(ロッチャ、1990)。それより前の作品は私の意図の意味を表してる。私は音を通しての世界という企画に対する行為を展開しようとしている。
最初に制作しはじめた頃のコンセプトのひとつは、多様性に関連した統一性という概念である。複雑性に変換された単純性という概念。コンピューターで操作することによって音響のオブジェを拡張することは、その方法のひとつである。同じことがオブジェについてもいうことがでる。解体された機械、粉々に壊され、彫刻に変容されるもの。ものの内在的な性質を変化させることによって、われわれはその意味を変化させ、またメタファーを創り出す。これは私の楽曲作品と音響作品における活発な力である。この例として「摩擦の一瞬」という音響映像のインスタレーションが挙げられる。それはマッチが擦られるときの一瞬の音から始まって、この音は何千回も繰り返され、大団円、自然の破壊的な力となる。だがまた両義的にもなることができ、雨の肯定的で生産的な力のような自然現象にも似ている。

もうひとつの私の作品を読み解く重要な手掛かりは、正反対の力と力、またそれらの相互作用にかかわりがある。これらの力は拮抗し、相反するものになりうるが、しかし、互いに補足しあうものにもなりうる。その同時発生的な性質は両義性を生み出すが、また再び、統一性が常にどうにか得られる。私の音の量子論に関する博士論文(ロッチャ・イトルビーデ、1999年)はこれらすべての概念を強調しているものである。原子素粒子の二元性、電子の同時性のある波と素粒子の状態は、相反し、両義的で、非合理的である。しかし、同時に複合的で、論理的、有機的である。このような意味で、「ピン・ロール」(1997)は完全に素粒子の原子論にかかわっている作品である。これらすべての概念は物理的現象にかかわっているだけでなく、精神哲学にもかかわりがある。「袋小路」という作品は禅と、自らの尾を飲んでいる錬金術にみられる蛇、ウロノボロスに関係がある。錬金術、仏教、同様に道教や他の精神哲学は明らかに量子論と関係をもっている。

ものの異なった状態、ものの他の状態への変化、混沌の理論、秩序から無秩序への移行、連続から不連続への移行、エントロピーへの過程等もまた、私の作品に関係する概念である。しかし、いま再びいうが、物理的な要素は単に詩的な意味を音響映像オブジェから拡張するための方法でしかない。
私の音響作品と映像作品の関係は何であろうか。それは過程、これらの要素を見る方法、それらを呈示する方法である。映像のオブジェは同じインスタレーションの中の同時発生する音響のオブジェと相反するものであるが、それらの共存、相互作用は良性、複雑性を創造し、詩的な意味を拡張する。

マニュエル・ロッチャ・イトルビーデ経歴:
1963年、メキシコシティに生まれる。メキシコ大学のエスクエラ・ナショナル・デ・メヒコにおいて作曲を学び、フリオ・エスラーダ、ラトゥコ・ティチャフスキー、フェデリコ・イバーラに師事する。3年間ペドロ・メイヤーの写真のワークショップに参加し、メキシコ、ブラジル、キューバ、イタリアで多くの写真展に出品。
電子音楽、実験映像、サウンド・インスタレーション、サウウンド・スカルプチャーに興味をもち、アメリカのミルズ大学に進学。その際、OEA、UNAMより奨学金を取得。アルヴィン・キュラン、アンソニー・ブラクストン、デイヴィッド・ローゼンブーム、ラリー・ポランキーに師事。1991年、電子音楽と作曲において美術修士号を取得。その後、パリのIRCAMにおいて作曲とコンピューターミュージックの1年のコースをとり、ブライアン・Fernyhoughに師事(1991-92)。1992年から96年まで、パリ第8大学においてホラーシオ・ヴァジョーネの下で「粒子統合の技術」についての博士論文執筆に取り組む。
1992年から96年にかけて、さまざまな国のスタジオで電子音楽の楽曲を制作する(フランスのUPIC、AICAM、スペイン、マドリッドのLIEM、カナダ、バンクーバーのSFU大学、イギリスのハーフォードシャー大学など)。IRCAMにて研究者として勤務し(1994年~)、後にパリ第8大学にて教授として勤務。統合法とコンピュータープログラミングを教える。1996年と97年に、ブルジュ・エレクトロニック・ミュージック・コンテストでプログラム・テープ・ミュージックとテープ・ウイズ・インストルメンツの両部門でノミネートされる。
1996年と97年、ルソロ・エレクトロニック・ミュージック・コンテストにおいて楽器、エレクトロニクス、テープの楽曲の部門で2位入賞。パリ滞在中にメキシコ人アーティストガブリエリ・オロスコとコラボレーションし、シャンタル・クルーセル・ギャラリーで展覧会を開催。1996年よりメキシコに在住。作曲より音響作品により従事するようになる。また、インターナショナル・サウンド・アート・フェスティバルでキュレーターを務め、さまざまな期間で音響作品の理論について講義を行っている。
以下の国際展に出品。1994年-アートアンドテクノロジー、コネティカット、1997年-アーティスト・スペース、ニューヨーク、1998年-シドニービエンナーレ、オーストラリア、ARCOインターナショナル・アート・フェア、マドリッド、スペインなど。彼の音楽はメキシコ、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、南米、アジア、オーストラリアで演奏されている。
日本芸術基金助成金、バンフ・センター芸術助成金、メキシカン・カウンシル文化基金の奨学金を取得。今回、国際交流基金の招聘により来日。


作品資料:
作家テキスト

報道資料:


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