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“REFLEX 1999”

有地 左右一+笹岡 敬


会期:1999年1月18日---1月30日

作家名:有地 左右一+笹岡 敬
     アリチ ソウイチ+ササオカ タカシ

形態・素材:カメラ・オブスキュラ、照明ライト

展覧会DM

(photo:S)

(室外からの映像のみ)

作家コメント: 「REFLEX 1999」によせて  有地左右一+笹岡敬
「REFLEX 1999」は1993年からのミラーボールを使用した作品から始まり、1995年の「根の回復として用意された12の環境」展に出品した高照度のライトを使用した作品、1997年O美術館「光をつかむ-素材としての(光)の現れ」展での信号機を使用した作品と展開してきたシリーズの新作である。
これまでの「REFLEX」シリーズは照らすものと照らされるものの関係を微妙に異化させることで、われわれが日常認識している光の存在をテクノロジーの持つ属性から解き放つことを目的としてきた。
「REFLEX 1999」もその延長上にあるのだが、今回、観客が見るのは光というより光源の映像である。今日ほど映像が巷に溢れ、あらゆる情報が視覚化されている時代はなかったろう。われわれはテクノロジーの発達とともに、世界のありようの認識を拡大し、加速化しているように見える。しかし実際には、映像やイメージはテクノロジー(コンピュータやクローン技術や)を通して我々の現実感を脅かしている。否、仮想現実という新たな現実を作りだし、すべての現実を書き換え可能にしようとしているようだ。欲望を限りなく拡大していく一方で、それらを投影するすべての情報や映像はリアルタイムで存在しえない。夜空を見上げて見える星も、そのときに存在しているとは限らない。これらのことは私たちの見る世界は事後的に存在を確認することしかできないという絶対的な不安をあたえる。私たちは鏡を通して反転された自分しか見ることができないのだ。現実は非現実から立ち現れてくる幻想なのかもしれない。

「REFLEX 1999」はそれらの在りようのモデルである。以下にジャン・ボードリヤールから引用する。

「われわれが世界を非現実的にしようとしているのは、世界のこのおそるべき客体性から逃れるためなのだろうか。われわれがヴァーチャルなものにしようとしている現実世界に最終通告を突きつけることから逃れるためなのだろうか。
なぜなら、現実という概念は生活と幸福に力をあたえるとしても、まちがいなく悪と不幸にそれ以上の力をあたえるからだ。現実世界では死もまた現実となり、現実にふさわしい畏怖をまきちらすが、ヴァーチャルな世界では誕生と死の経験無しですむので、それと同時に責任の観念がひどくおぼろげで耐えがたいものとなり、もはや責任を引き受けることもできない状況が生じる。おそらく、真と偽、善と悪等々を区別するというあの気の滅入る務めをいつまでも果たす義務感から解放されるために、われわれは責任を引き受けないという代価を支払う気になっているのだ」


作品資料:
パンフレット(pdf)


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