s322

“-everett-”

天野 豊久


会期:1999年3月15日---3月27日

作家名:天野 豊久
     アマノ トヨヒサ

形態・素材:小型スピーカー、アクリル板、写真、音声、テープレコーダー

展覧会DM

(photo:S)

作家コメント: everett~あいまいな実在へのオマージュとして
「私」や「あなた」の存在が実に仮想的である、という印象を持つことはないだろうか? もしくは、自身や他者の存在は、現象の積み重ねの中で見いだす以外には術が無いにもかかわらず、実在することがあたかも真実であるかのような根拠のない確信のようなものを抱いてはいないだろうか? 「あなた」にとって「わたし」の存在は、スクリーンの上の影とどれほど違うのか? 影とは異なり生身である、と感じることすら、五感を延長したに過ぎない。リアルであることは、リアルでないこととほとんど同じレヴェルで「わたし」の中にある。

ヒュー・エヴェレットは、量子力学において、ニールス・ボーアらのコペンハーゲン解釈に対して「多世界解釈(エヴェレット解釈)」を発表しました。量子の不思議な振舞を説明しようとする仮説ですが、量子レヴェルでは曖昧になってしまう実在の探求でもあります。コペンハーゲン解釈はたったひとつしかない実在の意味を探ろうとしているかのようです。それに対してエヴェレット解釈は、いくつもの実在が平行して存在していることをしさしています。「わたし」は、たぶんこの私だけではない、のではないか、と。

「わたし」と「あなた」は相対的な関係にあるにすぎない。「わたし」ですら「わたし」という概念の含むすべての可能性の中で見いだされる相対的な理解なのだろう。したがって、私は、「あなた」を、「わたし」を、世界を解釈するための立脚点として確固たる「わたし」を必要としている。しかし、確固たる「わたし」は、おそらく実在“感”の問題ではないのだ。「わたし」は、存在ではない。システムもしくは装置なのだ。
曖昧で不確定であることをつねに大きく孕まなければならない、システムが「わたし」に結晶をする。



⇄ ページ・ナビゲーション ⇄