(photo:S)
作家コメント:
カード社会。貨幣が、カードで代理されるように、それ自体は安っぽいカードのようなもので、美術を語ること。
美術史は、見たものを記録するテクノロジーの歴史でもあり、それを未来に投影することで、来るべきモデルを作り上げてきた。未来モデルを見出せない現在、「見たもの」ではなく、「見ること」そのものに留まることが重要ではないか。──セザンヌのように。
むろん人は記憶の触媒なしに、ものを見ることなどできない。記録は記憶に近づこうとするが、しかし記録は常に記憶を裏切る。「見ること」そのものとは、言い替えればこの裏切りのことではないか。遠近法、写真装置等のテクノロジーを触媒に、この記憶と記録の狭間を定着すること。
それは記憶の襞に折り込まれたなにものかと関わる。折り込まれそのもの。折り込まれた記憶と記録の狭間、隠喩としての美術館。
作品資料:
報道資料:
- ぴあ 98.1/19 表示