作品によせて [5]

Rob Moonen ロブ・モーネン(参加アーティスト)

■3分間の沈黙

あなたの時計を見てごらんなさい。そして、カチカチという180秒の時の刻みに耳を傾けてごらんなさい。
3分前の時間をよく考えて、3分後の計画を立ててみよう。
3分間のゆっくりとした沈黙の最後の時を思い出してみよう。
完全にまっさらな状態で、集中して心をつかんでみよう。
何も加えたり引いたりしてはいけない。
沈黙を魅力的なものと考えよう。
リラックスして。
沈黙のなかであらゆる騒音を聴こう。
この3分間に何人が生まれ、何人が死んでいったかを想像してみよう。
その人々の表情がどのように見えるか、心に描いてみよう。
オランダでは、インドネシアの文化から生まれた「沈黙の力」という表現が知られている。この言葉は黒魔術の伝統においては、沈黙の背後に偉大な力が隠されていることを意味する。
沈黙はまた、フランスの哲学者リオタールが「報復」と呼ぶ瞬間をつくりだすために使われる。それは、人がもはや沈黙に耐えられず、あらゆる種類の刺激に心を開こうとする地点である。音からの遮断(隔離)は、70年代、投獄された政治活動家を転向させる手段として使われた。

私がホテルの部屋に着いた時、その部屋はちょっとした「遮断の部屋」のように見えた。
つややかな光を放つ装丁の2冊の本、それは売春婦を探すための情報誌だとわかった。名前、住所、電話番号、身体のサイズや体重。それは顔や乳房や尻の写真に比べれば、小さく書かれていた。ここから選べば早く事が済ませる。何千人もの女が自らを露わにして、いくばくかの金銭のために男たちを喜ばせる。

翌日、私は、ラッシュアワー時に秋葉原から地下鉄に乗り、上野へ行かなければならなかった。電車は混んでいた。私の前にいる会社員は、私に背中を向けて漫画本を読んでいた。彼は漫画のあからさまな性描写に当惑している風もなかった。数秒の間に、殺人、レイプ、そしてあまりにも過激なポルノグラフィーが展開していく。私は不安になったが、そう思うのは私一人だけのように思われた。その会社員にとっては、日経の株式市況を読むように、それは当たり前のことだった。

上野駅のタクシー乗り場のあたりでは、まるで誰かが大きなトラックから歩道の上へ荷物を降ろしたところのように見えた。たくさんの段ボール箱が、ところどころブルーのビニールの面で覆われ、整然と並んでいた。間に挟まれて、人の靴や持ち物、そして生ゴミが見えた。これは何だ? 誰かが家を掃除したのかもしれない。今日は生ゴミを回収する日なのかもしれない。すると、箱の中から人が出てきた。靴を履き、そしてあたかも家を出る時のように、箱の蓋を閉じた。私は今見た光景を信じることができなかった。

上野から浅草まではたった一駅だ。日曜日の午後、私は寺を訪ねた。この沈黙すべき場所で多くの騒音を耳にした。いったい、このメタリックな音はどこからやってくるのか? 階段を登ると、大きな金属製の箱が見えた。人々が列を作って、前に進むのを待っている。1列目の人々がいくばくかの硬貨を投げ、3度頭を下げると去っていった。私はその場に20分以上も立っていた。しかし、沈黙を味わうことは決してなかった。後に、彼らが「幸運」のためにお金を投げ入れていたのだと知った。

日本へ来る前、「3分間の沈黙のために」についての私の最初のアイデアは、ビデオのなかの人々のポートレートを用いた作品だった。社会というコンテキストのなかで個性を表現するポートレート。それは2つのシークエンスで構成されていた。現代の熱狂主義を表現する早いペースのものと、伝統にマッチするゆっくりとしたペースのものである。日本に滞在中、私はプランを変更することにした。日本社会のなかでの議論が主として3つのコンセプトによって決定されていることを知ったからだ。幸運、お金、権力である。これが私のインスタレーション「Shiju Go En/1000 faces」(始終御縁/千の顔)のベースとなっている。

私はいつも、オランダを猥雑な騒音に満ちた国だと思っていた。東京から帰り、これはあくまで相対的な考え方だと気づいた。
沈黙は、もはや見かけだけのものではなくなった。

『3分間の沈黙のために……人─自然─テクノロジーの新たな対話』p.25-26

関連展覧会:
  • t12 日本・オランダ現代美術交流展 「3分間の沈黙のために……人・自然・テクノロジーの新たな対話」(東京)


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