アーティスト・シンポジウム「根の回復に向けて ─ 外在する芸術/内在する芸術」

日時:1996年6月15日
会場:旧赤坂小学校(東京都港区赤坂4-1-26)
パネラー:安藤 泰彦、小杉 美穂子(KOSUGI+ANDO)、有地 左右一、笹岡 敬、佐藤 時啓、千崎 千恵夫、浜田 剛爾、水嶋 一江、保科 豊巳、松枝 秀晴、Paul panhuysen パウル・パンハウゼン、Guus Koenraads フース・クーンラーツ、Christiaan Zwanikken クリスチャン・ズワニッケン
司会:天野 豊久


■テクノロジー・身体・作品 (▲先頭に戻る)

司会 ── この質問を続けたいのですが、保科さんがそろそろ退席しなければならないので、この展覧会についてひと言お願いしたいと思います。

保科 ── この展覧会では、たとえば光や運動、時間性をともなったものやシステムを介在させた情報メディアを使ったもの、機械の構造を利用したものなど、テクノロジーをもちいて制作された作品が多かったように感じます。このテクノロジーというものは、近代の科学主義と結びつき、ひとつのユートピアをつくろうとしたのだと思います。皆さんは近代主義の典型であるテクノロジーを肯定的にとらえて作品を展開しようとしているのか、あるいは否定的な考えをもって、それにも関わらずメディアを使う方向を探っているのか。なかには水嶋さんやクーンラーツさん、ヘスさんのようにテクノロジーを使っていない作品もありますが、皆さんにお聞きしたいと思います。

水嶋 ── 私はもともと作曲をやっていて、一番最初に関心をもったのはジョン・ケージやシュトック・ハウゼンなどの現代音楽でした。それが次第に、コンピュータ・ミュージックというまさにテクノロジーを使った音楽に興味をもつようになり、そしてその後、もっともプリミティブな形の弦楽器を使って表現をするという、いまの作品になったわけです。これは頭で考えたというよりは、多分に生理的というか、こちらのほうがおもしろいなと感じてやりはじめたことなのです。現代音楽をやっていて何か物足りなさやおもしろ味のなさを感じた理由は、ひとつには、説明を聞けば興味をひかれるのだけれども、頭で考えてつくったことが実際の音として表現されることに、私自身が感動を覚えなくなったことがあげられます。
それでは私は何をしたいのかと考えたときに、実際に身体を使って演奏し、五感に訴えかける、見ておもしろく音もおもしろいというような作品をつくりたいと思ったわけです。たとえば、歌舞伎とかオペラなど、音楽と他の要素が一体化された分野がありますが、そういうものを自分なりに展開してみたいと思って始めたのが、いまの糸電話のような作品、「ストリングラフィ」というシリーズです。

松枝 ── 僕はメディアがひとつのテーマになっています。5歳と2歳の子どもがいるのですが、子どもたちにとってメディアの代表であるテレビの影響は非常に強いものだと思うのです。そのメディア・テクノロジーが与える身体的な、あるいはメンタル面への影響によって、僕が小さいころ実際に距離を測ったり、ものをさわったりした感覚と子どもたちの感覚は変化している気がします。皆さんもご存じのように、学校でもインターネットを導入し、それを使って教育を始めています。そういうなかで現在のテクノロジーを使ったメディアは、どうも「欺きのためのテクノロジー」が多いのではないかと考えています。それをできれば「検証のためのテクノロジー」に変えていこう、自分がバーチャルな体験をしても、実際にそれは知覚できない部分であることをきちっと検証してもらいたいと考えているのです。僕の作品のテーマは、家族や子どもたちと一緒にそういった検証を進めていくことです。

浜田 ── 保科さんから大変おもしろいテーマをもらいました。テクノロジーがもたらす社会現象というのは、おっしゃるとおりユートピア的な可能性を秘めていました。それは技術に対する信頼性、技術が大衆を幸せにするというものでした。今世紀に入り、テクノロジーというものが最大のテーマとなって近代社会が生みだされていったことは間違いない。日本でいえば第二次世界大戦後の我々が受けた教育のなかで、それをひとつのライフスタイルとして受け入れざるをえなかった。批判と肯定を繰り返しながら、我々は個人生活を営んできました。
そのなかで僕自身のテクノロジーに対する答えは、1972年以降、パフォーマンスという手法をとりはじめたときからはっきりとしてきました。芸術と社会の関わりのなかで、パフォーマンスとは、いわばテクノロジーの対極にあるものではないかと考えたわけです。わかりやすくいいますと、身体の復権ともいえるでしょう。その身体の復権の対極にテクノロジーというものがある。しかし、そのふたつは同じような意味をもつ場合もあるのです。なぜならば、身体こそがテクノロジーの根元になっていると考えることができるからです。我々がエレクトロニクス・メディアを使用しはじめたことは、すべて人間の感覚の延長あるいは拡大、肥大、集中にあると考えられるのです。メディアというものは身体に隠されているともいえるので、身体の提起する問題というのは、テクノロジーを理解する上でかなり重要な手がかりになるのではないか。
しかし現実には、身体の問題にはテクノロジーでは補えないようなものが多々あります。それはつまり、人間の神聖なるものや付加価値なるもの、それから遺伝子がもっている様々な情報、またそれ以前のアミノ酸の組み合わせといったようなものです。我々の認識を加速度的に増やしつつあるこれらは、人間を含んだ生命体自身がもっているものであると考えられます。しかし比喩的にいうならば、世界は人間的・生命的なるもののテクノロジーによって構成されているということもできるのです。その代弁者として本来テクノロジーがあるはずなのだけれども、テクノロジーにも人格的な付加価値が加わってきたとき、これは暴走を始めて、人間あるいは生物の制御を超えて飛び出す可能性をもつであろう。我々がテクノロジーというものを問題にだしたときには、対極に身体という問題があって、その象徴としてエレクトロニクス・メディアが存在しているのではないかと僕は考えています。
ですから僕の場合は、必ずしも肯定とか否定とかではなく、対極主義をとることによって、芸術の未来、あるいは科学以前に芸術が総合的にもっていた、人間によって付加価値として与えられていた大きな力が、今日の科学にどのような発展をもたらすのか、またどのように使用していくことができるのか。そういう問いかけのなかで、パフォーマンスにおける復権として身体を取り出してきたのです。その経過のなかで僕は、もうひとつのきわめてわかりやすい形としてテクノロジーを、エレクトロニクス・メディアというものを使っています。

笹岡 ── 僕のエレクトロニクス・メディアとテクノロジーに対する考え方は、基本的には浜田さんと変わりません。それを僕自身の言葉で説明してみたいと思います。
テクノロジーはつねに何か目的を求めて開発されてきました。たとえば車を設計するときには、非常に早く走りたいとか早く曲がりたいとか乗り心地がいいとか、そういうことを考えながらつくろうとしているわけです。私たちはハンドルを右に切ると、車が右に曲がることを知っています。この右に曲がるという間に、じつはいろいろな現象が起きています。僕の作品はテクノロジーをブラックボックスにしないで、どのように出来上がっているのかという構造をあからさまにするケースが多いのですが、車の場合にはギアが左に切れたり、クランクが右に引っぱられたりということが起こっていて、私たちはその集積をテクノロジーとして見ている。
しかし、テクノロジーを使って右に曲がることというのは、じつは目的ではないはずです。たとえば、右に曲がることで人間をはねてやろうと思ったなら、その人をはねとばすということが目的になってくる。テクノロジーの目的とは、ハンドルを切る意志というものが、テクノロジーを使う手前の問題として決定していなければならないはずだった。ところが、そのことをなおざりにしてテクノロジー自体が目的化していく。この話は、先ほどのユートピアに対するイマジネーションの問題と非常に近い関係があると思いますが、物事と自分たちとの関わり方をリアルにとらえることができなくなっているということ、そのことをもう一度考え直すことができれば、僕はメディアとして何を取り出してもいいと思っています。自分たちが一番わかりやすい部分で構築していこうとしたときに、テクノロジーが表現の素材として入ってきたのです。

小杉 美穂子 ── 私たちはコンピュータで制御したり、画像を入れ込んだりといった、いまのテクノロジーと呼ばれているものを使って作品を制作しています。そのとき私たちは、テクノロジーというものを技術、テクネとしてとらえています。それは切り離された新しいものというよりは、たとえば言葉であるとか最初の道具といったものが、機械仕掛けになったり電子メディアになったりというだけで、素材としての明確な線引きというものはありません。以前には映像や言葉などを使っていましたし、その時点からミクストメディアでやってきていますので、そこに感覚的な差異はありません。ですから、テクノロジーを肯定的にとらえるか否定的にとらえるかという質問ですが、これはどちらでもないのです。私たち自身、つまり人類というものがテクネの発達によって形づくられてきたわけですし、現在でも日々刻々、テクノロジーの環境のなかで私たちは形づくられ、また私たち自身もそれ自体をつくっているという、相互浸透の関係にあると思います。
今回の展覧会で提示された「根」というのは多層的なものですし、パターンとして回復すべき根本的な人間像や感覚というのがあるとは思いませんので、私たちがテクノロジーを否定的にとらえること自体が、私たちの存在を危うくさせてしまうと考えています。否定的にとらえるのでも肯定的にとらえるのでもなくて、それをどのようなものとしてとらえることができるかが、コンセプトの大きな柱となっています。バイオロジーの話を浜田さんが例にあげられていましたが、ひとつのシステムとしてみれば、生物と動物の差異がないように、機械のシステムもまたよく似た形態をもっていると考えてみることができます。プラス・マイナスをはっきりさせるのではなくて、そのときに見えてくるものとは何だろうか、何を感じるのだろうかといった多層な読みとり方をしたいと考えています。

安藤 ── 私たちは、テクノロジーにはいくつかのレベルがあると考えています。ひとつには、道具として使っているということがあげられます。もうひとつのレベルとして、人あるいは私のありようを考えるために、テクノロジーというものを問題化していくという立場です。
今回の展覧会で、最初に私たちは、人と人とのコミュニケーションというものについて考えていたのですが、やがてそれは人とテクノロジーとの関わりという問題に展開していきました。小学校という場所も、ひとつのテクノロジーの産物だと考えたからです。人によってつくられ、閉校というかたちで、やはり人によって突然切断されたひとつの身体のような建物、そこからイメージを広げて制作を進めていったのです。

パンハウゼン ── テクノロジーは私にとって一種のおもちゃのようなもので、メディアについてもブラシやペンキなどと同じようにとらえています。アーティストというものは、どのような素材でもメディアでも、自分にとって可能性があるものは何でも使うべきだと私は考えています。過去百年の間にたくさんの新しいメディアがでてきましたが、それらはアーティストの可能性を広げるものだったと思っています。しかし、それらを使うときに心に留めておかなければならないことがあるでしょう。そのひとつとして私は、アートというものが、自身の意見や人生といったものを他者と共有することから切り離せないものである、という基本的な考えをもっています。この考えを出発点として、私は素材を選ぼうとしています。多くの素材のなかから、私の表現したいことにもっともかなっているものを選ぶわけです。
もちろん、テクノロジーの重要性はいまさら強調する必要もないほど、我々の日常生活において非常に大きな位置を占めています。このような状況のなかで、かえって自然あるいは他の生物の生活に注意を払うことの重要性を実感せざるをえません。実際、市場に出まわっているテクノロジーは、互いに関連しあい、どのようにも使うことができるのです。重要なのは、私たちがテクノロジーを使って何かを変えようとすることが、他の生命や私たちの生活に直接関わってくるような、私たちの行方を左右する巨大なものだということ。それを私は常日頃、意識しています。将来の世代、人類の未来というものは、現在と結びつき、私たちがおこなったことの結果のひとつともいえることに、私は今あせりを感じています。
私は普遍的なアートなど存在しないと思っています。普遍的なアートにひとつの絶対的な価値があるとは思いません。それは真のアーティストによって近い将来、アートが存続していけるのかに関わってくると信じています。アートの未来のためにアーティストたちは、互いの自主性や自立性に敬意を払い、さらにアーティストだけでなくすべての個人に、誰にも規制を受けることのない表現の権利というものがあることを真剣にとらえなければならないと思います。繰り返しますと、アートというものは共有すること、支援することであり、それはアーティストだけでなくすべての人間を含んでいるということです。

フース・クーンラーツ ── 私自身はテクノロジーを積極的に使っているほうではありません。制作段階で大工仕事のときに使っているだけです。もともと私は設計する芸術を実践しています。オランダ展でも展示したような、箱の形をした彫刻をつくっています。今回の展覧会の展示空間を最初に写真で見たときに、どのような場所かを想像するのはたいへん難しいものでした。しかし、実際に教室を見たとき、私にとって非常によい場所で、天井や木の床などすべてのものが作品とマッチするだろうと思いました。第一印象は、明るい色の場所ということでした。オランダでどのように作品を構成しようかと考えていたのですが、この教室を見て、現実に沿ったものをつくろうと決めたのです。
私は床を自分の作品を支えるものととらえ、そこに12の柱をつくることにしました。特定の歴史をもった教室という場を生かすために、色をまったく使わないよう考えました。そして白を選び、柱ということになったのです。三次元の彫刻を凹と凸の関係でつくったこの白い彫刻は、以前に色を塗って制作した作品がもとになっています。この作品は、六つの正の彫刻とそれに対する六つの負の彫刻とからなっていますが、正がひとつ負がひとつで1プラス1が2になるのではなく、2というのが3にも4にもなる可能性を意図したものです。私の彫刻は絵画としての彫刻であり、絵画に色があったりなかったりするように、高さや奥行きを配慮しました。このように実験的な観点から自分の使う材料というものを選んでいます。私は彫刻をオランダでつくり、この会場に設置したのですが、この彫刻がどのように場と適応するのかはそれ自身にまかせることにしたのです。

ズワニッケン ── 私は、6歳から8歳くらいまでの子どもたちが遊ぶような場、という感覚で作品を制作しました。最新の技術が身のまわりで進歩していますが、たとえばコンピュータゲームなどのテクノロジーというものがコマーシャル的になり、マーケットにどんどん進出している現在の状況を考えることは、非常に大きなことだと思うのです。テクノロジーとは何かと簡単にいってしまうと、それは機能です。ファンクションだけです。しかし私たちは、そのようなテクノロジーに支配されることに疑問を感じているわけですから、私たちは反逆しなければならないと思うのです。とくにこれからの若い世代は、いままで以上に反逆をしてほしいと思っています。

佐藤 時啓 ── 僕の作品は写真を使っています。この写真というものは、150年前には最新テクノロジーでしたが、今となっては非常に原始的なメディアといってもいいわけです。最新のテクノロジーに興味がないわけではないのですが、それは今日一番新しいものが明日には古いものになってしまうという状況で、僕にとっては原始的なテクノロジーが落ちつくものになっています。僕自身はテクノロジーと人間の身体性との関係に興味をもっていまして、東京(本展)とアイントホーフェン(オランダ展)で制作した作品は、いずれも写真の長時間露光という方法を使っています。アイントホーフェンでは太陽の光を使い、東京では人工的な夜のイメージが強かったものですから、小さいライトを使って作品を制作しました。僕にとっては、どのように人間の身体とテクノロジーとのバランスを考えていくのかということしかありません。今回の作品も、人工的な光と自然の光とのバランスを考えるようなインスタレーションにしています。しかし実際には、僕自身も家に帰ればコンピュータを使っていますし、ハイテクノロジーには非常に興味があり、これからどのように使っていくのかを考えているところです。

有地 左右一 ── テクノロジーを肯定するか否定するかという質問に対してですが、私の原風景というのは、小川があってカエルがいてというようなものではありません。私は昔ラジオ少年で、アマチュア無線をやっていました。東京には秋葉原という場所がありますが、大阪には日本橋というところがあって、その町の風景というのは、電信柱が立ち並び、電線が何本も張りめぐらされたようなものでした。そこを切り取ると、あたかもテレビやラジオのセットの中につながれたジャンパー線を覗くような感じを受けたものです。これが私にとっての「自然」であり、それから考えると、テクノロジーを肯定するとか否定するというようなものではなく、すでにそこにあったというのが私の感覚です。

司会 ── ありがとうございました。小学校という場所で作品を制作する意味や、恐いという感覚を呼び起こす理由、さわる・さわらないの問題、身体の復権、テクノロジーと人との関係など、キーワードがいろいろでてきたと思います。休憩をはさんで話をさらに進めていきたいと思います。

シンポジウムの録音記録より(カタログ未収録)

関連展覧会:
  • t06 日本・オランダ現代美術交流展 「NowHere」(オランダ展)
  • t08 日本・オランダ現代美術交流展 「根の回復として用意された〈12の環境〉」(日本展)


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