第6回 「ダブル・バインド空間─その美しき回廊」に参加して

丸山 常生(美術家)

■ 総括とその後

結果的に、大谷地下美術展はこの年で終了を迎えた。その直接的な要因としては、先に述べた陥没事故の影響が大きい。この地域一帯に蟻の巣のように無秩序に広がっている採掘場の、いつ、どこで起こるか分からない陥没事故は社会問題化し、解決の見通しが立たないまま暗礁に乗り上げた。また、転落事故の民事裁判も長引いた。そして、予定していたベルギーとの交流展では、サポートのスポンサーの関係から、他の代替地を探さざるを得なくなった。結局、大谷から撤退せざるをえなくなったのである。しかし、もしそれらがなかったとしても、展覧会そのものはマンネリ化に陥る寸前で、本質的に見直さなければならない時期になっていたことは確かだった。

振り返ってみれば、もともと、一人一人の作家および関係者各自の〈内部〉に生じた、『あそこ』との出会いのエネルギーは、様々な変容を遂げていった。「作品を展示すること」「展覧会というシステム」そのものの見直し。また、「自分たちの展覧会」であり、かつ、「見てもらえる展覧会」として両立させることの困難さ。そして何よりも、一人の作家としてどれだけ納得のいく作品を、展覧会の成立のプロセスと深く関わりながら生み出すことができるのか、という大いなる冒険。それらを求め、問いかけ、克服していこうとする過程で、〈内部〉へのアプローチだけでなく、常に圧倒的な〈外部〉の文脈、つまり大きな社会的関係や他者との関係に多かれ少なかれ翻弄されながらも、否応なく立ち向かっていかざるをえないことに、我々は気づかされていったのだ。やがて、それらの経験が、1991年のベルギーとの交流展などへつながっていった。

改めて今、私は思う。美術について考え、志向することとは、作家自身の〈内部〉に向けるだけ──表現することや発表することの欲望を自己充足させてしまう──でなく、もちろん〈外部〉に向けるだけ──社会的論理や制度の中に膠着化してしまう──でもない。それは、美術そのものが〈内部〉にも〈外部〉にも跨がる、まさしく《ダブル・バインド》状況にあり、その中での「明確なビジョンを持った絶えざる振幅運動」のことなのだ、と。

地下採掘場という〈場〉、そして地下美術展との関わりは、以上のような経験と認識を具体的に与えてくれた点で、私にとって文字通り“でき過ぎ”と思える印象を残したのだ。(1994.9)

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※注 ダブル・バインド
文化人類学者のG・ベイトソンが提唱した、精神分裂病に関わる概念。〈二重拘束〉と訳される。矛盾しあうメッセージを同時に受けた時に置かれる、精神的状況のこと。この概念は多様な社会・文化現象を理解するためのモデルとして、領域を広げて用いられることもある。

『大谷地下美術展1984~1989』p.24-26

関連展覧会:
  • r13 第6回 大谷地下美術展 「ダブルバインド空間—その美しき回廊」


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