大谷地下美術展の成り立ち

酒井 信一(ギャラリー・サージ ディレクター)

入り口から冷気漂う狭い通路をひたすら深部へと進むと、突然、目の前に大ホールが広がっている。暗がりに垂直に立ち上がる巨大な壁面や柱のすべては大谷石。そして、ときおり、地表に通じる天井の狭間から流れ込む微かな光は、壁面に規則的に刻まれた採石時のノミ跡を古代遺跡の荘厳なレリーフのごとく浮かび上がらせる。

こうした地下25メートルに広がる地下採掘場跡の空間の特質を、そこを〈場〉とする作家が知的に把握しようとするならば、まずその両義性ということになるだろう。岩肌の水滴に微光が射し込む自然そのものを感じさせる空間であると同時に、つるはしの音の残響が遺っているような、人間の労働が染み込んだ歴史的空間。大地の脈動と呼応する巨大な開放空間であると同時に、廃墟や墓場を連想せざるをえない閉鎖空間。つまりは、創造の自由と可能性を約束する空間、であると同時に、方法論上の拘束と抵抗でしかあり得ない空間。これらのダブル・バインドによって、ここを表現の場とする作家は、制作のあらゆる階梯で、引き裂かれ、宙吊りにされ、美術の内なる制度の検証を強いられる。すべての作品は、その検証への回答と言ってもよい。しかし、こういった〈作家─場─作品〉についての理知的な構造説明だけで「大谷地下美術展」を語るのは困難であろう。

作家水留氏はおそらく、〈作品─場〉に関する規範の脱構築を充分意識していたであろうが、同時にまた、「芸術は、それ自体われわれの生から切り離されたものではなく、あくまで今を生きる人間の豊饒な命の奔流でもある」という、ある意味では素朴で単純な創作意欲を持ってもいた。だが、こういった単純で過激な意識こそ、現代の作家が見失いがちなものであり、大谷の地下空間に参集した作家達とそこを訪れた観客が取り戻した様々な体験に通底した要素だったのである。

大谷の岩盤の大ホールに足を踏み入れた作家が、はじめに感じたのは、幾何学的な空間意識とか、建築学的な構造把握であったはずはない。皮膚に浸透する湿気を含んだ冷気とともに、屹立する岩の垂壁に対する視覚の衝撃という、紛れもない身体感覚の蘇生であった。制作のすべてはここから始まったと言ってもよいだろう。空間の〈意味〉は後からやってくるにすぎない。美術が視覚芸術であるのは当たり前であるが、その視覚自体を反省対象とするような、作家の視覚に対する原初的で破壊的なエネルギーとして存在する〈場〉、これが大谷地下空間の磁力であった。当初の作品設置のみを行うという方法から、作家達はやがて自発的に現地制作に移行していくのだが、制作過程において積極的に〈場〉と〈作品〉の呼応を生み出そうとする意欲は、作家自身の呼び覚まされ獲得された身体、知覚感覚の領域拡大という欲求に外ならなかった。

自らの身体感覚を羅針盤として、作家達の制作は、様々な船出を試みた。ある者は、地面に水を張り木彫を付設し、暗い岩肌に囲まれた空間を慰撫と鎮魂の静謐で満たした。また、ある者は、天空へと伸びる作品のもとで火焔を燃やし、暗闇を祝祭の祭壇に変えた。昏さと湿潤な空気をそのまま保存し、柔らかな布や紙で壁面を覆って、作品と場とを大地に帰すが如く、密やかな呼吸だけを再現しようとした者がいた。また、金属の枠組みの巨大な構築物で場の荘厳さを凌駕しようと苦闘した者もいれば、岩の質感との対比から、作品に用いる素材そのものの質感を転位させようとした者もいた。さらに、圧倒的なライト・アップで空間の質料全体を変容させ、作者という特権を手放すまいという意志を固持した者もいた。

多種多様な試みの中で、誰が成功したか、何が成就したかは、判定し難い。野外インスタレーションの常として、普段の手慣れた制作方法が新たな〈場〉でどこまで通用するかを頑固に追求する作家がいた一方で、〈場〉を新たな恩寵として受け入れ、そこに対応した手法を模索することこそ努めであると決意した作家もいた。いずれの場合でも、大谷の地下空間が、〈作者・場・作品〉の従来の単線的な関係を作家達に許さなかったことは確かである。初めに〈場〉が強制した身体感覚は、制作過程のあらゆる瞬間に〈作品〉に浸透し、その〈作品〉の身体性が、再び〈場〉へと投げ返されて、〈場〉そのものの存在を変成してゆく。こうした往復運動の中で作家達は、文脈上だけでは語り尽くせない意味を体得していく。

『大谷地下美術展1984~1989』p.4-5

関連展覧会:
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  • r07 第3回 大谷地下美術展 「空刻の楔」
  • r09 第4回 大谷地下美術展 「共振 ─ 反復」
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